jyannuのブログ

主人と膠芽腫

パパのお見舞い

今日久々に休みがとれたので主人のいる病院に子供達とお見舞いにいきました。2ヶ月前には息子がいっても誰かわからなかったのですが、今日は息子が、来たよといったらか細い声で「いらっしゃい、まってたよ〜」と 途中うつらうつらとするものの昨日は英検どうだった?と息子たちに質問までしていまいした。めちゃめちゃ凄いことです。凄い回復?脳はやられても再生もするのでしょうか?

会話はほとんどなくとも少しは気にしてくれた‼️覚えてた‼️子供達はパパに会えて嬉しかったようです。オムツで全介護寝たきりおじいさんになったパパでも、パパなんだね。少しずつパパの現状をうけとめたうえでの今日はとても嬉しかったようです。与えられた時を家族で乗り切り過ごします。

また休みが作れたら会いに行こう、

私が思うこと

突然グリオブラストーマの家族を持ち、今の気持ちです。

病気を抱えるとともに仕事も生活も急変する中、国に補償された中で手厚い治療をうけられた、そして今も支えていただけるのだとひしひしと感じます。大病を長期に患う家族がいて初めて感じてます。だからこそ、パパがパパらしい存続はできない今すべての維持治療をやめホスピスに入ったことは良かったことと思います。それが神様からいただいた命をまっとうすることだ思います。

発病から思い返せば、大変な大金を国から補助していただき、一年余は家族とクオリティライフ高いものを過ごせました。痴呆症になったパパがズルズルと高額な抗ガン剤治療をうけることをやめてよかったのだと思います。そして、私が何かしら病に陥り、闘病しつつも自分で決断できるときに、必要なものか否かをきめ家族や国の大切なお金を無駄にしないように。と思いました。人が人とかかわれるときはよいのですが、、。生きるとは・・私のテーマですが、

また、ごめんなさい。

パパはまだ、生きてる。なのにもう解放して欲しいなんてごめんなさい・・・。

ぱぱがあるから今があって、を忘れていました。

病気は怖いですね。闘病がながくなってくると、グリオブラストーマにパパの脳の侵略と同じに、支える側の心身の侵略もあったんだと、知らない間に負けてたね私。駄目ママでした。

病気にわたしも負けてたと。今日仕事から帰ったら先日、病院の催し物に参加したパパの写真がありました。

見た時はすぐ裏返しにしたし、今も見れないけどカメラに向かって笑顔をつくろうとしていたあなたは、私の目に焼き付いてます。もう、昔のあなたではないけれどあなたは、生きてる。

あなたが残したクリニックは私がまもるよ、《パパは医師でした》色々色々あっての今ですが、二歩下がっても三歩前進 明日ホスピスに転院です。

ぱぱの最期のステイ先。わたしがぱぱにしてあげて喜んでもらえることはなくとも、わたしはこの病気と最期まで闘うんだ。今度会いに行ける時は手を握ってこの気持ちを伝えようと思う。

眼をそむけないで、勇気をもって今をうけとめるんだ。と